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揃いも揃って… [家族]

来週、術後検診がある。

今年は9年目、私の年齢49歳。

術後の年数と年齢の1桁台が一緒。


母の亡くなった日の1週間後が、術後1年目検診。

弟の亡くなった日の2週間後が、術後9年目検診。

すべて同じ曜日。


母の時は、抗がん剤でゾンビからのヨレヨレ回復中。

弟の時は、転職して一週間経過~の絶賛引き継ぎ中。

つまり…私の状況はかなりタイヘン!


まぁでも、何とかなるんだけどさ。

いつも他人様が援助してくれる。

そして、私は更にパワーアップしていく・・・。

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弟の卒業 [家族]

突然に、弟がこの世を去ってしまった・・・!

魂としては生きていることは分かっているけれど、

どうしても気持ちが置き去りになってしまう。


コンタクトを何度となく試みてはいるものの、

元々が無口なので、ポツポツって感じで要領を得ない。

生前と同じ状況だから、たぶん気のせいではないと思う。


それでも、生きている時にもっと話したかった。

私がワーワーしゃべって、弟に見解を求めるパターンだけれども。

とにもかくにも、”残念” の一言に尽きる。


私自身、明日も生きているとは限らないんだなぁ…。

久しぶりにそう実感したので、より一層「今」を意識することに決めた。

あとは、日々無意識にしている選択の動機の真意を見極める。


この私の決意について、弟の見解をもらうぞ。

私が分かるようにお願いしますよ。

とにかく早く寝ようっと(私にしては既に遅い)。

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母の祥月命日(8回目) [家族]

コレといった花がなかったので、取り敢えず的な花を購入。

母の好きなお寿司も美味しそうに見えた値を張らないモノにした。

あやを☆父は、相変わらずの自己中ぶりで、きっと忘れていると判断。

「今日、何の日か分かってる?」


私が尋ねるまで、まったく気が付いていなかった。

しばし頭を抱えて、固まったまま動かない。

(やっぱりな・・・)

仏壇を見れば、ヒントがばら撒かれている。


それを見て、ようやく分かった模様。

(じゃあ…なかったら?)

私に対して、何にも言わなかった・・・。

本当に忘れていたのだろうけど、弁解しなかったのでヨシとする。


母と念話でコンタクト。

どうやら、生まれ変わってるっぽい。

(・・・ご愁傷様)

私の今世は、みんなにお別れを言いに来た…そう思っている。


あやを☆父は、母に執着していないから元気なんだと思う。

それを責めるつもりは、全くない。

故人も残された人が、楽しくやっていることを望むから。

私は覚えているけれど、引きづられることはない。


line01.gif


念話については、私の妄想かもしれない。

それで別にいいいのだ。

blogだけに留めているから(身内はこのblog知らない)。

ただ、「貴女は賢いから」と母に言われると、否定したくなる。


今年、私は50歳になる。

昔から、母には「いつ目覚めるんだろうね…」って言われていた。

目覚めてはいないかもだけど、絶対条件(子どもを成さない)はクリア。

そのために、女性性を選んだのかも…今、思った。


今週は1日置きぐらいにお酒を飲んでいる。

私にしては珍しい。

本当は、今日は飲まないつもりだった。

だけど、『献杯』を理由にして、今日も飲んじゃった(笑)


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弟の腹 [家族]

ほぼ毎年1月2日に、弟一家がやって来る。

ここ数年、私的に注目しているというか、気になって仕方がないのが、

弟の腹の出具合だったりする。

妊婦さながらに、年々出っ張ってきて、今年は臨月肥えた感あり(笑)


いやいや笑い事じゃない。

今年も判で押したように同じ質問を投げかける私。

「健康診断的には問題ないの?」と。

その答えも毎年と同じく、際立った問題点はなし(TG若干高め)。


見ていると、食べる量は普通。

確実に私より、食べる量が少ないンだよねー。

もうこれは基礎代謝量が異様に少ないとしか思えない。

弟の連れ合い&娘たちに言わせると、「全然動かない」そうだ。


私はBMIだと、20.3~20.7の範囲内で普通体重。

10代は低体重で、20代以降はずっと普通体重(抗がん剤治療時は低体重)。

あやを☆父は肥満度1、亡き母は肥満度2~3、そして弟は肥満度2。

・・・・・私って捨て子だったのかなぁ?(笑)


食べる量を減らすのに最も効果的なのは、咀嚼回数を増やすこと。

私は1口30回を実践したことがあるけれど、少量で満腹になるのは本当だよー。

だけど、食べるのが大好きな私にとっては苦痛だったので、すぐに止めた。

即効で、食べても体重を減らすには良いと思う。


弟の場合は、1週間ぐらい断食してもいいような気がする(笑)

一度身体に衝撃を与えないと、ダメっぽい。

だけどな~やる意欲がなさそう。

弟曰く、亡き母と似てるんだと。


そうだとすると、年末に借りた本を読めといいたい。


弟は一般的な情報では痩せないって感じるのですよ。

それは亡き母にも感じていたことだったりするので。

私は食べ放題とか行きたいので、基礎代謝量を上げる(笑)


来年、弟の腹が妊娠3ヶ月ぐらいまで凹んでいることを祈る。

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父がIHクッキングヒーターを壊した [家族]

10月10日。

この日は、亡き母の誕生日。

歳は取らないけれど、お祝いしています。

大好きなお花とお寿司、ドクターペッパーをお供え。



私がセッセと買い出しに行っている最中、それは起きました。

最大の原因は、父が私の言うことを守らなかったから。

よりによってこの日にねー。

自己中なことをせず、母のことに思いを馳せていれば良かったものを。



さて、私は電磁波に一種の懸念を感じていて、家から出たいと思っていた。

母の声が聞こえた気がします。

「お父さんに腹が立っちゃった。あんた、ガスコンロに替えちゃいなさい」

もしかしたら、母が一枚かんでいるのかもしれません(笑)



えー。家を出るなってことじゃん。ゲー。

まぁ自分のためにお金を蓄えろってことね…と解釈した。

相見積もりした結果、本日、若めの爽やかイケメン業者に決定~♪

もちろん決め手は見た目じゃなくて、仕事の対応ぶり&価格ですよ(笑)



そう言えば、春先に洗濯機を設置しに来た業者の人も超絶イケメンだったな。

そのまま芸能活動できるんじゃないかレベル。

それでいながら、仕事ぶりはスマートで、後輩にもテキパキ指導していた。

日本はまだまだイケる!←話が脱線してますよー(笑)



最近のガスコンロは、時間が経つと消える設定が標準装備らしくて安心した。

メーカーは最初から『リンナイ』と決めていました(IHならばPanasonic)。

機種の特性を聞き出し、掃除のしやすさ&手軽さで選んだ。

久しぶりにまともに料理したい気分になってきた。いいぞ♪



壊れたお陰で望んでいたものを手に入れた。

次は冷蔵庫だな(笑)

とゆーか、ただ単に壊れそうなだけなんだけど。

三菱電機製のが安く手に入りますように!

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明日は母の祥月命日 [家族]

母が亡くなって5年。

早いんだか、遅いんだか、よく分からない感じです。

あやを☆父は、昔から自分の誕生日だけ覚えている人なので、

私が云わなければ気が付かなかったかもしれない[わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]


明日は仕事なので、今日、お墓参りに行って来ました。

母のことで行ったのに、昨年亡くなった妹のことを語る父。

(まったく…[たらーっ(汗)]

ゲンナリしたけど、母方の伯母たちから電話があり、気持ちが腐らずに済んだ。


お花が大好きだった母。

今、仏壇にはブリザーブドフラワーを飾っている。

だけど、母の好みは生花。

明日は、久しぶりに花束を供えようかな[ぴかぴか(新しい)]


お母さん、そっちは楽しい?

私はとっても元気だよ。

あやを☆父とも何とかやってるよー。

たまに、援護してくれてるよね?(笑)


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81歳になるの巻 [家族]

本日、あやを☆父の誕生日。

今年は何を食べようか・・・?

相変わらずの大食漢なので、どこにでも連れて行ける。

朝、"中華はどうかね"と尋ねたところ、即OK。

美味しくて、お財布に優しいお店を見つけていた。



☆海老ワンタンメン(+半ライス、杏仁豆腐)

☆小龍包

☆海老入りふわふわ卵の蟹あんかけ

ほぼ一人で平らげ、帰宅してからティラミス&ミカンを食べる。

長生き間違いなし(笑)



胃袋はすこぶる快調だけれど、寒さに弱い。

既に真冬の装いなので、この先が思いやられる。

取り敢えず、一つだけプレゼント購入してみた。

『足温器ペチカ』

熱源が体温なのだ。


ってことで、自分のも購入したので実験中。

最初は失敗したかなぁと思ったけど、今はヌクヌク~♪

軽くて持ち運べるから、意外といいかも。

問題は…あやを☆父の体温がどのくらいかによるかな。

少しでも快適に冬が越せますように。





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3年が経ちました [家族]

昨日1月18日は、母の祥月命日でした。

亡くなってから3年。

何だか遠い昔のような気がしている私です。

怒涛の日々から、穏やかな日々になったせいでしょうか。

時間的経過がゆっくりに感じるのです。

思えば、本当に怒涛の日々でした。

自分の備忘録として、経過を綴らせていただきまする。


<2009年12月> 10月からずっと右乳房に痛みアリ
11日 健康診断で乳がんの疑い
12日 乳腺専門クリニックでほぼ乳がんと確定され、病院を紹介される
15日 マンモトーム生検
19日 歯医者
21日 (母)病院に付き添い、入院決定
23日 (母)入院
24日 歯医者
28日 乳がん確定 / 年末年始:12/28~1/4(毎日、母の病院へ) 

<2010年1月>
07日 精密検査イロイロ
13日 検査結果(転移なし。疑い晴れず再検査要請される)
15日 (母)無理やり退院
16日 歯医者
18日 (母)病状悪化に伴い再入院
20日 歯医者
22日 歯医者
23日 歯医者
27日 リンパ節生検(2回目)、歯医者
30日 歯医者

<2010年2月>
03日 再検査結果、歯医者
06日 歯医者
10日 歯医者
12日 (母)病院より呼び出し。延命措置の有無の判断を迫られる
13日 歯医者、(母)延命措置をしないことで同意。今週末が山場と告げられる
15日 MRI検査
17日 全摘確定診断 / 手術日候補:3/16 or 3/18
23日 歯医者
27日 ヒーリング / 2/26で仕事を辞める
28日 出雲へ / 母が奇跡的に持ち直し、呼ばれた気がしたので

<2010年3月>
01日 飛行機欠航で延泊、主治医より自宅に電話アリ
03日 主治医より、リンパ節生検再々要請
05日 病院より入院&手術日連絡あるも断る
06日 オステオパシー、鍼灸院
08日 リンパ節生検(3回目)
11日 再々検査結果(電話)
12日 病院より入院&手術日連絡あり、渋々承諾
13日 オステオパシー
15日 入院
16日 手術
24日 退院
29日 リンパ液貯留確認

<2010年4月>
05日 リンパ液貯留確認
12日 (母)新主治医より呼び出し、母の乳がん確定
14日 (母)父の逃走で病院より呼び出し、乳がん告知
15日 病理結果報告
21日 術後治療決定、鍼灸院
27日 職安
28日 抗がん剤オリエンテーション
30日 (母)自宅での看護・介護の話し合い

<2010年5月>
07日 鍼灸院
08日 オステオパシー
11日 職安
12日 AC療法1回目
22日 鍼灸院
25日 職安
28日 (母)退院、在宅医療開始(介護は6月半ばor下旬)

<2010年6月> ほぼ寝たきり
02日 AC療法2回目
08日 鍼灸院
22日 職安
23日 AC療法3回目の予定だったが、来院も不可能なレベルにつき中止
30日 再びAC療法3回目の予定だったが、衰弱激しく中止

<2010年7月> 完全に寝たきり
07日 AC療法3回目(減量投与、休薬期間4w)
20日 職安

<2010年8月> ほぼ寝たきり
04日 AC療法4回目(減量投与、休薬期間4w)
17日 職安
25日 治療方針の話し合いにより、PAC投与はすべて中止

<2010年9月> 血圧80前後を推移
01日 ノルバデックスお試し服用開始
06日 鍼灸院
08日 ノルバデックス副作用確認
13日 鍼灸院
21日 鍼灸院
29日 検査+ノルバデックス処方

<2010年10月> 近所は外出できるようになる
04日 鍼灸院
12日 鍼灸院
18日 鍼灸院
25日 鍼灸院

<2010年11月> 県内は出掛けられるようになる
01日 鍼灸院
09日 鍼灸院
12日 CYP2D6検査(この日は諸般の事情でNG)
15日 鍼灸院
17日 CYP2D6検査
26日 鍼灸院

<2010年12月> ちょっとずつ回復、(母)容体下降気味
03日 鍼灸院
10日 鍼灸院
12日 (弟)事故に遭う
15日 (弟)お見舞いのため病院
17日 鍼灸院
24日 鍼灸院
27日 ノルバデックス処方、(母)乳がん皮膚転移
30日 (弟)お見舞いのため病院

<2011年1月>
04日 鍼灸院
14日 (母)呼吸が乱れ始める
15日 (母)ネフライザー開始、(友人の旦那)お通夜
17日 (母)訪問看護、夜に容体急変し訪問医療の病院に入院
18日 (母)早朝死亡
19日 (母)化粧納棺
20日 (母)お通夜
21日 (母)告別式
24日 術後1年目検査

<2011年2月>
03日 すっ転んで左足踝骨折(ひび)
09日 レンタルベッド導入
26日 (母)納骨・49日法要


いやぁ私よ、よく頑張った!

特に、母が亡くなる前後の対応は、ほぼ一人でしたもんなぁ…(遠い目)

そのことに関して、いまだに色んな人から褒めちぎられるのであった(笑)

逆に、父と弟夫婦の評価は地に落ちてる感じ(笑)


まぁそんなことより、私が楽しく過ごしていることで母は喜んでいるでしょう。

父との仲は相変わらず残念で、ほぼ会話ないけれども、それもOKと思ってるハズ。

だって、私の乳がんが発覚した時に、家を出ることを勧めてきたから。

理由は…父が全くアテにならない上、私に悪影響を及ぼすと考えた。


ホント、それはズバリ当たっていた。

退院後や抗がん剤投与でくたばっている時ですら、何もしてくれなかったもんねぇ。

ちょっと注意すれば逆切れで、ヘルパーさんたちが私を擁護しまくりだったし。

もちろん金銭的な援助はなく、それでも家賃光熱費食費が掛からなかったのは感謝。


それでも、父なりには努力しているみたい。

私の求める基準が高過ぎて、そこには到達できないのだと思う。

それを受け容れることは出来るが、一緒に暮らすとなると私に負荷が掛かる。

父の自己チュウばりに、私も自己チュウになる時が来たのかもしれない。

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